|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 護衛 : [ごえい] 1. (n,vs) guard 2. convoy 3. escort ・ 護衛艦 : [ごえいかん] (n) escort vessel ・ 艦 : [かん] 1. (n,n-suf) warship
あたご(ローマ字:JS Atago, DDG-177)は海上自衛隊の護衛艦。あたご型護衛艦の1番艦。艦名は京都府の愛宕山に因む。艦名は部内応募により、旧海軍を代表する艦名として「ながと」および「ゆきかぜ」が候補に挙がったが、「ながと」は、時期尚早と判断され見送られた。ただし、悲劇的な最期を遂げた重巡洋艦「愛宕」と同名の「あたご」という艦名に反対意見も多く、当初から懸念する声もあった。 なお本艦は3代目で、初代愛宕は日露戦争期に活躍した砲艦、2代目は前述の重巡洋艦である。 == 艦歴 == 「あたご」は中期防衛力整備計画に基づく平成14年度計画7700トン型護衛艦2317号艦〔DSI 現有艦艇一覧 〕として、三菱重工業長崎造船所で2004年4月5日に起工し、2005年8月24日に進水、2007年3月15日に艤装員長兼初代艦長・舩渡健1佐の指揮下で就役した。舩渡1佐は岐阜大学卒業後、海自に入隊。幹部候補生学校を経て幹部となり、護衛艦の各部署でキャリアを積み、艦長を歴任。艦長拝命はあたごで4隻目であった。 2005年8月24日に三菱重工業長崎造船所にて挙行された進水・命名式において、防衛庁副長官今津寛によって「あたご」と命名された。 2007年3月15日、就役した後、第3護衛隊群第63護衛隊に編入され、舞鶴に配備された。 2008年2月19日にイージス艦衝突事故が発生した。事故後は横須賀港に一ヶ月以上係留され、乗組員の外出も禁じられていたが、3月24日に事故当時の当直であった海士長が自殺未遂を起こしたため、翌日には乗組員の外出が許可されることとなった。防衛省は28日に舩渡艦長を含む6名の護衛艦隊司令部付への異動を発表し、後任の艦長には第2護衛隊群幕僚の清水博文1佐が着任した。程なくして、舩渡1佐は退官し民間企業に再就職した。本件については、衝突前の位置関係からあたご側に衝突回避義務がなかったとして、2013年に当直士官2名の無罪判決が確定した。但し、海難審判においては、2009年(平成21年)1月22日、事故主因をあたご側と認定する裁決が下りており(2009年1月30日をもって裁決が確定)、刑事裁判と海難審判では一部判断が分かれている事を付記しておく。 2008年3月26日、護衛隊改編に伴い第3護衛隊群第3護衛隊に編入された。 2008年9月14日午前6時56分に、豊後水道の領海内で、国籍不明の潜水艦らしいペリスコープ(潜望鏡)を発見し、アクティブソーナーによる追尾を実施したが、同日午前8時40分ころ失探した。 2010年5月16日にRIMPAC2010に参加するため「DD-108 あけぼの」と共に横須賀から出航、RIMPACに先立ち、6月9日から6月19日までカナダ・ビクトリアに寄港、6月12日、エスカイモルト湾で実施されたカナダ海軍創立100周年記念国際観艦式に参加。6月22日にパールハーバーに到着し、8月1日までハワイ周辺海域で訓練を実施。8月16日、横須賀に入港した〔平成22年度米国派遣訓練及びカナダ海軍創立100周年記念国際観艦式について (PDF文書)〕。。 2012年12月10日、アメリカ国防総省は議会に対して日本向けに最新のミサイル防衛システムの売却を通知する。「あたご」は同型艦の「DDG-178 あしがら」と共に導入される見込み〔MSN産経ニュース イージス全艦が迎撃可能に 海自、北朝鮮対応強化へ 2012年12月11日〕。 2013年6月10日から26日まで米国カリフォルニア州キャンプ・ペンデルトンおよびサンクレメンテ島にて実施される米軍単独であった統合訓練「ドーンブリッツ13」に初めて参加した。他に護衛艦「DDH-181 ひゅうが」、輸送艦「LST-4002 しもきた」が、陸上自衛隊からは西部方面普通科連隊と西部方面航空隊ほかも参加している〔平成25年度米国における統合訓練(実動訓練)(ドーン・ブリッツ13)について 〕〔島嶼防衛目的に「ドーン・ブリッツ」3自衛隊が初参加(2013年6月10日~26日) 〕。 現在は第3護衛隊群第3護衛隊に所属し、定係港は舞鶴である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「あたご (護衛艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|